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死の事実を通して(縁として)我が身を見直す厳粛な仏事です。真宗では決して死者の霊を慰めたり、追善供養という言葉で言われるような私達の方から一方的に呪術的なお勤めを行う儀式ではなく、逆に私も受けて行かねばならない死の事実をどう受け入れて行くのか、私達は何を聞かなければな らないのかを明らかにする仏事です。その意味は、広くいえば二つでしょう。
1 亡き人と最後のお別れをする。
お別れの言葉、御礼の言葉をかけてゆく。
2 死という御縁を自らのこととして
引き受けてゆく。
ただ、お別れをするだけなら只の告別式ですんでしまう訳ですが、仏教の葬儀としての大事な意味が二番目の意味の中で語られているようです。
しかし、現代の葬儀のあり方は、悪い意味で現代風な有様に変わっているようです。通過儀礼としての葬儀・見栄を張るための葬儀と、人間の都合の良いように合理的に仏事を利用し、また利用されていく状況があるようです。
また、葬儀は死の事実を通して我が身を見直す大事な仏事ですので、仏教では決して死を穢れとしては扱いません。よってその穢れを払うために塩をまくということは決して行ってはなりません。

先祖の命日(忌日、祥月命日)を通して各々の家で仏事を執り行い、いのちのつながり、いのちの不思議さを再確認し、亡き先祖も味わわれた念仏勤行を共に唱和し、自らが相続していく仏事です。また、亡き方の仏弟子としての名前「法名」を一つの手がかりとして仏法聴聞の御縁に会って行く、という大事な御縁です。
しかし近年はお勤め後のお斎(食事)の方が派手にされる場合もしばしばあります。
御案内された親類の方へのおもてなし、という意味ではおろそかに出来ませんが、本来の法事の意味をもう一度確認させて頂きたいものです。

各地区ごとに行われる聞法会で、月に一度か二月に一度催される集まりです。現在福浄寺では19ヶ所の同朋会があり、又、壮年部会6ヶ所、婦人部会5箇所の会があります。
主に同朋会は平日の日中に行われますので年輩の方がお参りになります。又、壮年・婦人部会は仕事が終わった夜にお集まりになります。
同朋会では主に「正信偈」をテキストとして法座が開かれ、壮年・婦人部会では「今日の言葉」(カレンダーの言葉)でお話をしたり、お勤めの稽古や御内仏のお給仕等のお話があります。

福浄寺の本堂の階段を下りた道路端に掲示板はあります。月に1度ほど住職が親鸞聖人のみ教えのお心や、現代人の心の問題、社会情勢の問題点などを短い言葉で掲示しています。
車が行き交う場所であり通学路でもあるので、時折車を止めて、足を止めて見入られたり、手帳に記入されたりする方もおられます。通りになられる全ての人が真宗門徒、福浄寺門徒というわけでは無いですし、それぞれの思いで見られるでしょうから、受けとめ方も様々でしょう。こういった色々な形で仏教の教えにふれていただく縁になればと思います。
また、隣接の「みのり幼稚園」、「川棚みのり保育園」にも保護者様向けの伝道板があり、月に一度掲示しています。
幼い子どもとの関わり、子育ての援助になればと思っています。
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